日本のロータリー…そのとき

国内ロータリーを写真で振り返る


1935年 ポール・ハリスが来日し記念植樹


記念植樹


ロータリーの創始者ポール・ハリスは、当時の国際ロータリー会長のボブ・ヒル夫妻とともに来日。マニラで開催される第5回太平洋地域大会に向かう途中に立ち寄ったものです。その折、ポール・ハリスは、東京の帝国ホテルの庭に月桂樹を記念植樹しました。この木はその後、枯死寸前になっていましたが、挿し木が試みられ、幸いにも発根した数本の木がポール・ハリスの月桂樹2世、3世として、日本の各地で元気よく育っています。


1940年 RI脱会直前に横浜で開かれた地区大会に集まったガバナーと有志

横浜


1905 年、シカゴ・ロータリークラブが誕生して以来、順調に成長を続けてきたロータリーですが、第2 次世界大戦によって、大きな試練を受けることになります。ドイツやオーストリアなど、ヨーロッパの国々で次々にクラブが解散に追い込まれました。日本のクラブも例外ではありません。存続を模索していましたが、1940年、ついに国際ロータリーからの脱会が決議されました。しかし、脱会にともなって、すべてのクラブが解散したわけでなく、多くのクラブが水曜会、木曜会など、日本的な名称に変更して、会合を続けていました。


1949年 東京ロータリークラブが国際ロータリーに復帰


東京ロータリークラブ


1940年、国際ロータリー(RI)から脱会した日本のロータリークラブですが、戦後、1949年に復帰が認められました。同年3月29日、東京ロータリークラブは、旧登録番号855で、RIに再登録され、4月27日、例会でジョージ・ミーンズ事務総長から小林雅一会長に、認証状が手渡されました。


1956年10月 ハーバート J. テーラー氏が「四つのテスト」の碑を訪問


ハーバート J. テーラー氏


1932年、ハーバート J.テーラー氏は、破産寸前状態にあったシカゴのクラブ・アルミニウム社の再建を依頼されました。「四つのテスト」は同社の倫理訓としてテーラー氏が創案したもので、事の大小にかかわらず、クラブ・アルミニウム社が諸事決定を下す際の基本となりました。テーラー氏は、ロータリーの創立50周年にあたる1954-55年度、国際ロータリー(RI)会長に就いた時、「四つのテスト」の著作権をRIに移譲しています。テーラー夫妻は来日した際、岐阜ロータリークラブが岐阜公園に建てた「四つのテストの碑」に訪問しました。


1961年 日本で初めての国際大会が開催されました


日本で初めての国際大会


日本で初めての国際ロータリー年次大会は、東京・晴海ふ頭に新しく建設された国際見本市センターを中心に開催されました。登録者数は2万3,366人。アジアで初めて開催された年次大会でもあります。特に、海外70か国余から約7,400人の参加者があったことは、当時の事情を考えると、驚くべきことだったでしょう。 この大会の成功によって、日本のロータリーは、世界のロータリーの中での地位を高め、また、国内でもロータリーの存在を広く知らせることになりました。


1963年 日本で初めてのインターアクトクラブ結成


日本で初めてのインターアクトクラブ


「世界中の青少年が共に活動できる組織をつくろう」という機運の高まりを受けて、1960年、当時、国際ロータリー(RI)会長だったハロルド・トーマス氏が、5人のロータリアンからなる委員会を発足させました。2年後の1962年、RI理事会により、インターアクトプログラムが宣言され、この年、理事会は初めてのインターアクトクラブ(IAC)の発足を認証。世界最初のIACは、アメリカ・フロリダ州メルボルンRCの提唱により10月28日に結成、23人でスタートしたメルボルン高校IACです。
日本では、1963年6月27日に結成された宮城県の仙台育英学園高校IACが最初のIACです。提唱は、仙台東RC。100人を超える人数で誕生した日本第1号のこのIACは、当時、世界最多の会員数を擁していました。また、京都府の西京商業高校(現、西京高校)IACが、一日遅れの6月28日にスタートしました。


1968-69年度 日本から初めての国際ロータリー会長が就任


日本から初めての国際ロータリー会長


『ロータリーの友』1968年7月号に「世界市民 東ヶ崎 潔」というタイトルで、日本から初めての国際ロータリー(RI)会長が、紹介されています。記事は「新RI会長は1933年以降日本に住んでいるが、生まれた地である米国とは深い絆で結ばれている。現在東京RCの会員であるが、広く世界各地を旅し、自ら世界市民をもって任じている。ジョージ・キヨシ・トウガサキというその名前も、二つの文化の影響を表わしているものと云えよう」という文章で始まっています。東ヶ崎潔RI会長のテーマは「PARTICIPATE!」。これがこれまでで一番短いRIテーマです。日本語では「参加し敢行しよう!」と訳されています。


1970年 日本万国博覧会会場で例会開催


日本万国博覧会会場で例会開催


大阪で開催された日本万国博覧会には、連日、多くの人々が来場しました。3月15日~9月13日の会期183日のうち、日曜日と祭日を除いた153日に153回の例会が開催されました。例会出席者総数は2万3,380人、うち1,737人が外国からのビジターでした。写真は、大阪ロータリークラブがホストした最後の万博例会での、「手に手つないで」


1982-83年度 日本から二人目の国際ロータリー会長が就任


日本から二人目の国際ロータリー会長


『ロータリーの友』1982年7月号に「ムカサ ザ コスモポリタン」というタイトルで、日本から二人目の国際ロータリー(RI)会長、向笠廣次(むかさひろじ)氏が紹介されています。「向笠君は、国際的にも名を知られた精神科のドクターである。彼が人類を考える時、国籍、肌の色、言語、宗教などによる区別には関心がない。あるのは頭脳の機能による幾つかの性格の分類だけである」と松平一郎1980-82年度RI理事は述べています。そんな向笠RI会長のテーマは「MANKIND IS ONE(人類はひとつ)」。「人類はひとつの大きな家族-すべての人間、すべての国民を含むひとつの大きな家族です。全家族の平和と幸福がなければ、個人の平和と幸福はあり得ません」と、向笠氏は呼びかけています。


2000年 西太平洋地域ポリオ根絶京都会議が開かれる


西太平洋地域ポリオ根絶京都会議


世界保健機関(WHO)のポリオ根絶認定会議が、京都国際会館で開かれました。会議では、西太平洋地域の各国の地域認定委員長から詳細な報告があり、西太平洋ポリオ根絶地域認定委員会から野生ウイルス「ゼロ」の認定が下されました。この認定を踏まえ、2000年10月29日、尾身茂WHO西太平洋地域事務局長によって、「西太平洋地域のポリオ根絶宣言」がなされました。その後、地域ごとに根絶の認定がされて、現在、野生ウイルスの常在国は、アフガニスタンとパキスタンの2か国だけになりました。


2012-13年度 日本から三人目の国際ロータリー会長が就任


日本から三人目の国際ロータリー会長


1982-83年度に、向笠廣次(むかさひろじ)氏が国際ロータリー(RI)会長に就任して以来、日本人がRI会長に就任することはありませんでした。30年ぶりに誕生した日本のロータリアン待望のRI会長が、田中作次(たなかさくじ)氏です。田中氏が掲げたRIテーマは「奉仕を通じて平和を」。田中氏は「自らの国の軍国主義の結末を経験した私たちの世代は、日本が平和を選ぶ大きな決断をした結果、目覚ましい経済発展を遂げていくのも目にしました」と述べています。田中氏は「ロータリー世界平和フォーラム」を、ベルリン、ホノルル、広島の3か所で開催し、ロータリアンが平和について考える機会をつくりました。また、アフリカをはじめ世界の各地を積極的に訪問し、ロータリーの奉仕の成果について自分の目で確かめ、世界中のロータリアンに情報発信しました。


2013年5月17~18日 「ロータリー世界平和フォーラム広島」開催


ロータリー世界平和フォーラム広島


2012-13年度国際ロータリー(RI)会長の田中作次氏は、RIテーマを「奉仕を通じて平和を」として、ロータリアンに「平和」について考え、活動するよう奨励しました。その一環として、ベルリン、ホノルル、広島の3か所で、平和をテーマとしたRI会長主催会議「ロータリー世界平和フォーラム」を開催しました。広島では「平和はあなたから始まる」のもと、ロータリアンと新世代がさまざまな角度から平和について学び、考え、意見交換をしました。



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