新しい雑誌の発行が決定
1952(昭和27)年4月、第60地区の大会が開催されました。同年7月に迎える新年度(1952-53年度)から、日本の地区は、東日本と西日本の2地区に分割されることに決定されていましたので、主催者も参加者も、共に深い感慨をもって臨んだ特別な地区大会でした。この地区大会では、いくつかの問題が話し合われましたが、その一つに、日本の2地区で共通の雑誌を発行するとの決定がありました。これまで共に活動をしてきた日本のロータリアンが、分割されてからも緊密に連絡を取り合い、情報を共有するための機関誌として、企画されたのです。第1回の準備会は大阪で、当時の星野行則ガバナーと露口四郎氏(共に大阪ロータリークラブ)が幹事役となって、東京、横浜、京都、大阪、神戸の各クラブの代表者が出席して開催されました。
1953年1月号 創刊号 |
『ロータリーの友』と命名
新しい雑誌について本格的にいろいろなことが決められたのは、同年8月16日、岐阜市の長良川河畔にあった大竹旅館での会合においてです。1953(昭和28)年1月から、毎月発行すること、価格を50円とするが、広告を取って100円分の内容のある雑誌とすること、名前を『ロータリーの友』とすることなどが決定されました。また、この会合では、新しい雑誌を縦書きにするか横書きにするかで意見が分かれ、全会員による一般投票を行ったところ、2対1の割合で、横書きが採用されることになりました。戦後10年もたっていなかったという時代背景を考えると、この結果は、当時のロータリアンが、いかに先進的な考えをもっていたかを知ることのできるエピソードです。
岐阜での会合で、広告を取ることが決定したものの、当初は発行部数が3,300部にすぎなかったこと、また、戦後の混乱が少し落ち着いたというものの、まだまだ経済的には厳しかったこともあり、広告のスポンサーを見つけることは容易なことではありませんでしたが、創刊に携わったロータリアン自らが走り回り、苦労して広告を取ったという逸話が残っています。
創刊号は富士山の表紙です。この表紙、1月号から6月号まで、北斎の「凱風快晴」という題の作品が使われました。表紙の写真や絵が毎月替わるようになったのは、創刊翌年の4月号からです。毎月同じ絵柄の表紙とはいうものの、それぞれの色が随分違っているのは、デザインでしょうか、当時、カラー印刷の技術が進んでいなかったためでしょうか。
表紙が2つに
最初、横書きでスタートした『ロータリーの友』ですが、その後、俳壇、歌壇など、横組みでは具合の悪い欄が始まり、これらを縦書きで入れることになりました。1972(昭和47)年1月号から、縦書き、横書きを分けて、それぞれに表紙をつけました。左に開けると横書き、右に開くと縦書きという形の雑誌になりました。両面が表紙になった最初の号の表紙は陣羽織で、横書きは前から見たところ、縦書きは後ろから見たところ、というように、両面表紙の特徴を生かした面白いものになっています。1972年1月号 (縦組みと横組みが分かれた最初の号) |
国際ロータリー公式地域雑誌に
1977年、標準ロータリークラブ定款第10条(現14条)の改定に伴い、公式地域雑誌(現ロータリー地域雑誌)の規定が設けられました。これにより、ロータリアンは、国際ロータリー(RI)の機関誌『The Rotarian』だけでなく、RIが指定した公式地域雑誌を購読することで会員としての義務を果たすことができるようになりました。『ロータリーの友』は、1979年7月号から1年間の試験期間を経て、1980年7月号からRI公式地域雑誌になりました。公式地域雑誌の要件はいろいろと定められており、また、時代とともに多少変化をしています。
カラフルに、ビジュアルに
2003年1月に創刊50周年を迎えるに当たり、これまでの良い伝統は継続しながら、新しい50年のスタートにふさわしい新鮮な『ロータリーの友』にするにはどのようにすればいいのか、2001年秋から検討に入り、2002年7月号から誌面を一新しました。サイズをB5判(天地256ミリ×左右182ミリ)からA4変型判(天地280ミリ×左右210ミリ)に変更。カラー写真のページを巻頭にもってくるなどして、親しみやすい『ロータリーの友』を目指しました。この時、用紙もカラー写真がきれいに出るように、それまでより白い紙に替えました(2006年7月号からは、さらに白い紙に変更)。
このサイズの変更と合わせて、事務所内でのコンピューター編集に切り替えました。このことによって、それまでより自由な誌面づくりができるようになり、またコスト削減も実現しました。さらに2016年7月号からは、サイズをA4判(天地297ミリ×左右210ミリ)に変更しました。
「ロータリー地域雑誌」の要件の一つに『The Rotarian』から指定された記事を掲載しなければならないという項目があります。写真を郵送していた頃には同時掲載は不可能でしたが、IT技術の進歩に伴い、2004年1月号からは、これらの指定記事が『The Rotarian』と同じ月に掲載できるようになりました。
記事についても、毎年度見直し、新しいコーナーを設ける一方で、古いコーナーを中止したりしています。2004年11月号からは、毎月一人ずつのロータリアンを紹介する「風紋」がスタートしました。外部の記者とカメラマンによる取材記事は、それまでになかったことで、ロータリアンやロータリーを客観的に見た記事によって、あらためてロータリーの良さを知る機会にもなっています。その後、クラブを紹介する「手に手 クラブ探訪」、ロータリアンを職業の面から紹介する「この人 この仕事」、「わがまち……そしてロータリー」、「クラブを訪ねて」と、少しずつ形を変えながら、このシリーズは続いています。また、パズル(「パズル de ロータリー」)や本の紹介(「私の一冊」)のコーナーを設け、より親しんでもらえるよう工夫をしています。
2002年7月号 |
インターネットとの共存
50周年を迎えるために『ロータリーの友』をリニューアルしようと企画を立てていたときに出てきたのが、新しいメディアのインターネットとどのように共存、住み分けをするかということでした。そこで、『ロータリーの友』のホームページを開設して、インターネットというメディアにふさわしいコンテンツを入れ、印刷媒体の『ロータリーの友』との共存、住み分けを図り、日本のロータリアンの皆さまにより早く、より幅広く、より便利に情報を届けようということが決まりました。この決定に従って、2003年7月1日、『ロータリーの友』ホームページを開設しました。ここでは全国のロータリークラブの例会一覧表、国際大会や国際協議会の速報、さらには、ロータリーの基礎知識的な資料を提供してきました。2006年秋、ガバナー会からrotary.or.jpのドメインが移譲され、ロータリーの友委員会で検討を重ねた結果、名称を『Rotary Japan』に変更、内容や画面をリニューアルして、2007年3月から新しい名前で情報提供をしています。
2010年4月に開催された規定審議会の採択によって、アメリカとカナダのロータリアンは、これまでの印刷版だけではなく、電子版で『The Rotarian』を受け取ることができるようになりました。2013年4月に掲載された規定審議会では、ロータリー地域雑誌も電子版で受け取ることができるようになりました。この決定にともない、『ロータリーの友』も2014年1月号から電子版を発行しています。最新号は毎月1日に更新されます。
『ロータリーの友』の記事を、より深く、より広く、理解し活用いただくため、ホームページを『ロータリーの友』の補完に集中することになり、2016年7月1日から『ロータリーの友』ホームページ(www.rotary-no-tomo.jp)に戻しました。
2016年7月号 |